エターナルグルーヴズ〈ETERNAL GROOVES〉

ライナーノーツ

THE BEATLES - ONE-DAY Session

■1963年2月11日 永遠に記憶される運命の日!

 本作はエターナル・グルーヴスから2018年に『プリーズ・プリーズ・ミー・セッションズ』(品番EGSH-0008)としてリリースされたタイトルのスピンオフとでもいうべき内容で、彼らのデビューアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』のシングル以外の10曲を、わずか1日で完成させた運命の日の、現存するすべてのセッション音源を収録したものだ。
 すべて・・ということは何度も同じ曲を録音し、ほとんどが没になっていく、その過程のすべてを意味する。似たようなテイクばかり、しかしよく聴けばOKとNGの判別もできる、そんなマニア冥利につきる秘蔵音源。そのセッションから全38テイク、約70分を一挙に聴き倒してみよう。
 1963年2月11日。ロックの歴史を変えた運命の1日。この日、ビートルズは、ロンドン、アビーロードのEMIスタジオで午前10時から3時間のセッションを3回、夜の11時近くまでの13時間をかけて、このアルバムのレコーディングをやり遂げる。これは音楽史上、最も実り多かった1日として、永遠に記憶されるべき日のドキュメントである。

 

 この時期の凡百のロックンロール・バンドとビートルズが違ったところは、彼らがオリジナル・ソングの演奏にこだわっていたことだろう。ジョン・レノンとポール・マッカートニーは1957年に出会ってから、およそ5年の歳月をかけ、自分たちの愛聴した黒人コーラスグループや白人ロックンローラーに勝るとも劣らない曲を書くようになっていた。ある日彼らは、ビートルズのために公平にいい曲を書いていこうと協定を結び、どちらが作詞作曲をしても「レノン&マッカートニー作」とすることに決めるのだ。
 デビューシングルとなる1962年9月の「ラブ・ミー・ドゥ」のレコーディングではセッション・ドラマーが呼ばれ、屈辱を受けたリンゴ・スターだったが、11月26日のセカンドシングル盤「プリーズ・プリーズ・ミー」の収録では見事なドラミングを見せて面目躍如を果たす。
 その直後からビートルズは長いツアーに出て、新メンバー、リンゴとのコンビネーションを磨いていく。12月は英国各地と2週間のスタークラブ巡業(品番:EGDR-0004で発売中)で27本、翌年1月に28本(英国)ものライヴを行っているのだ。そして2月を迎える。ここでその2月11日前後のビートルズのライヴ・スケジュールを見てみよ

 

1963/2/3~4 キャバーンクラブ公演
1963/2/5 ドンカスター公演/サウス・ヨークシャー
1963/2/6 ベッドフォード公演/ロンドン郊外
1963/2/7 ウェイクフィールド公演/ウエスト・ヨークシャー
1963/2/8 カーライル公演/スコットランド国境近く
1963/2/9 サンダーランド公演/タイン&ウィア州(北海沿い)
1963/2/10 移動日
1963/2/11 EMIスタジオでレコーディング
1963/2/12 オールダム(英国北西部)からUKツアーを開始し、ほぼ連日のライヴが4/27まで続く。

 

 この日までにビートルズは、「ラブ・ミー・ドゥ」、「PS・アイ・ラブ・ユー」、「プリーズ・プリーズ・ミー」、「アスク・ミー・ホワイ」とシングル2枚分、計4曲を録音しているが、遂に迎えたアルバム用の録音は彼らにとって初めての経験であった。しかも上記の様な、真冬の英国でのツアーに明け暮れる中、ジョンは風邪気味でスタジオ入りする。2月25日がバースデーのジョージにいたっては、まだ19歳だった。

 

 やがて5人目のビートルと呼ばれるほど、なくてはならない理解者となるプロデューサーのジョージ・マーティンがビートルズと対面したのは、1962年6月6日。EMIスタジオで実際にビートルズに演奏をさせるオーディション・レコーディングの時である。堅そうな職員風情のG・マーティンとリヴァプールの悪ガキたちは会話も弾まず、気まずい雰囲気の中、G・マーティンの「なにか、ここで気にいらないことがあるなら言ってみたまえ」との言葉を受けて、最年少のジョージ・ハリスンが「まず、あんたのネクタイが気にいらないな」と言って爆笑が起き、一気に打ち解けたというエピソードは有名だ。もしここでジョージがこの皮肉なジョークを飛ばさなかったとしたら・・ロックの歴史は変わっていただろうか。しかしそんな貢献をしたジョージも、この日は受難の一日になる。不安視されていたリンゴではなく、この19歳のギタリストが技術的な洗礼を受けることになるのだ。

 

 

■レコーディング方針とその方法

 G・マーティンは、シングル盤「プリーズ・プリーズ・ミー」のレコーディングのあと、1962年12月9日にリヴァプールのキャバーンクラブでビートルズのライヴを観て、その熱狂ぶりに驚いたそうだ。だからこそファーストアルバムの制作が決まったときに、ライヴの熱気を最優先で伝えるべく、ほぼ一発録りでのレコーディングを計画したという。当時のEMIスタジオの録音機材は2チャンネルレコーダーが2台であった。その楽器振分けの内訳は以下の通りだ。

 

track1:ジョン、ポール、ジョージ、リンゴのボーカル
track2:ギター、ベース、ドラム=track1と同時に演奏するすべての楽器

 

 上記2トラックに生演奏で録音された音に、曲によって以下をダビング。

 

もう1台のレコーダーへダビング作業:
ボーカルのダブルトラック、ハーモニカ、手拍子、ピアノ(G・マーティンが後日行った)

 

 ピアノ等のダビングも必要最小限にとどめ、ライヴの勢いを収めることが重視されたプロダクションだったが、「蜜の味 / A Taste Of Honey」だけ、ポールとジョンのボーカルをダブルトラック録音している。この艶やかな曲にはダブルトラックが必要だと判断したあたり、やはりG・マーティンのプロデュースは深い。では、それぞれの楽曲テイクについて触れてみよう。

 

 

★EMI Studio 2, London 10:00 AM – 1:00 PM 

■There’s A Place
 この日の最初のセッションは「ゼアズ・ア・プレイス」から始まる。全編にわたってジョンとポールのツインボーカルがハーモニーを変化させつつ歌われる。モータウン系の黒っぽいセンスが渋く光る曲だ。彼らが黒人音楽をどれだけ愛していたかが、じんわりと伝わってくる。
 軽くウォームアップしてから録り始めたと思われるテイク1は、ジョンもポールもまだ試しながら歌っている様子だが、テイクを重ねるにつれ徐々に2人の喉が温まっていくのが分かる。その中でジョージの技量不足が露呈する。イントロから登場するジョージのオクターブ奏法でのフレーズが、何度テイクを重ねてもぎごちないのだ。テイク5の前には同様のオクターブ奏法を使った「プリーズ・プリーズ・ミー」(前回の11月のレコーディングで弾いていた)のイントロを試し弾きしている音が聴ける。確かに慣れぬレコーディングで、最年少のジョージへかかるプレッシャーもあっただろう。この曲ではジョージのコーラスの出番は、大サビの♪Like “I love only you”で、ジョンがソロになるバックでポールと2人で♪Ahとコーラスを付けるところだけだが、テイク1では声が上ずっている。確かにレコーディングでは自分の声が聴き取れないなど、最初のテイクでは十分なモニター環境でない場合もあるし、その後のテイクではジョージのコーラスも安定している。しかし、ギターだけはテイクを重ねても一向に改善されない。
 特にポールの声のカウント直後のイントロでのフレーズは致命的で、そこを改善しようとしたのか、テイク9からはカウントの取り方をダブルカウントに変更している。それまではポールの声で「ワン、ツー、スリー」とカウントが出て「フォー」と同時にジョンがJ-160Eの低音弦でハンマリングのフレーズを弾き、直後にポールとジョージが同時に弾き始めるのだが、それだと急に弾き始めねばいけないプレッシャーがあると感じたのか、テイク9では「ワ~ン、ツー。ワン、ツー、スリー」と変えている。そして「フォー」からポールもジョンと一緒に弾き始める形にすると、ジョージのフレーズも安定してくるのだ。
 このイントロ4小節のポールのベースにも注目して欲しい。見事な8分音符のベースワークでリズムを支えている。たとえばデジタルで測定すればポールのこのフレーズも不安定ではある。イントロ部分を簡単なコード表にしてみよう。

 

正しいビート(8分音符のベースフレーズ):
 │E♪♪♪♪♪♪♪♪ │A♪♪♪♪♪♪♪♪│ E♪♪♪♪♪♪♪♪ │ A♪

 

ズレた例:これが例えば(X♪)の部分がズレたとしよう
 │E♪♪♪♪♪♪♪♪ │A(X♪)♪♪♪♪♪♪ │E♪♪♪(X♪)♪♪♪ │A♪

 

瞬時修正演奏:ポールはズレた(X♪)を(▲♪)の部分で、その小節内で瞬時に修正ができるのだ。
 │E♪♪♪♪♪♪♪♪ │A(X♪)♪(▲♪)♪♪♪♪♪ │E♪♪♪(X♪)♪(▲♪)♪♪ │A♪

 

 これを譜面にも表せない「ノリ」や「グルーヴ」というのだが、一流の演奏家はみな本能でこの修正を行っているし、それが不自然ではなく、逆に「味」になって「ノリ」や「グルーヴ」を生み出す。皆さんもよく聴けば、ポールがこのわずかイントロの4小節の中で、時に4分音符にしてみたりと、それぞれのテイクで気分によってフレーズを変えてアプローチしているのが分かるだろう。しかし肝心のその上に乗るジョージのフレーズが一向にかみ合わない。これはジョージの手先が動かないという以前に、その「ノリ」や「グルーヴ」を本能としてまだ理解できていなかったからだろう。それでもポールは、次男坊が末っ子を常に気にとめるようにジョージを見守っていたのだ。映画『レット・イット・ビー』のシーンで、ギターのフレーズまで細かく指示を出すポールにジョージが切れる場面だけを切り取ってポールを非難することは、ビートルズの全体像を見失うことになる、と筆者は思う。
 結局、G・マーティンはテイク10まで繰り返したところで、方針を変える。曲の顔にもなるフレース、ここはジョンのハーモニカにメロディを担わせる決断がなされる。午後のセッションのテイク11から、そのハーモニカのダビング・セッションが聴ける。

 

■I Saw Her Standing There
 この日の時点ではまだ「17 / セヴンティーン」と呼ばれていた「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が午前の2曲目に録音される。ハンブルグのスタークラブなどでも既に演奏されていたポール作のオリジナル曲だが、ジョンは歌詞で貢献している。有名なエピソードではあるが、1番の歌詞が「彼女はちょうど17歳。美女コンテストで優勝はしてないけどね」だったところを、「彼女はちょうど17歳。俺が言ってる意味、分かるだろう?」と、ティーンエイジャーにしてはおマセな、思わせぶりな歌詞に変えるようにアドバイスしたジョンのセンスには、当のポールも脱帽したそうだ。ロックンロールの作詞家として既にトップクラスの仕事ぶりだ。
 このセッションはテイク1でいきなりベストが出る。ポールのボーカル、ジョンのコーラスも文句無し。ドライヴするベースのリフを支えるリンゴのハイハットとスネアのノリのよさ。ジョージのギターソロもこのテイク1がベスト。欲を出さず自然体で一音一音を弾いていて、これが今現在も僕らが聴いている公式テイクの演奏になるのだ。その後、テイク2も録音してから、よくなかった部分への編集用に最後のサビ(テイク3)、ギターソロの再トライ(テイク4)なども録音し、テイク6は歌詞を間違え、テイク7はテンポが速すぎて止まるなど試行錯誤。最後のテイク9でのポールの頭のカウント「1、2、3、4!」がテイク1の頭に繋げられ、公式テイクとして完成する。

 

 

 

★EMI Studio 2, London 2:30PM – 6:00 PM 

 午後のセッションは、90分のランチライム休憩のあと14時半から再開されたが、ビートルズたちはランチに出ずスタジオに残って「ミルクだけ飲みながらリハーサルを繰り返していた」(エンジニア;リチャード・ランガム談)という。

 

■Do You Want To Know A Secret
 午後のセッション2曲目に録音されたジョージのリードボーカル曲。ジョンがディズニー映画『白雪姫』から着想を得て作り、ジョージに提供。ジョージはこの歌をまだ余り歌ったことがなかったようで、ボーカル録音には苦労したとのこと。しかしボーカルテイクは決して悪くない。ベストはテイク6とされ、そこにダビングを施して完成。
 テイク7は1番からジョンとポールのコーラスが入り、大サビで手拍子がダビングされているアウトテイク。テイク8は公式と同様に2番からコーラスが入り、大サビにはドラムスティック打ちがダビングされたテイクだ。
 キーがEながら、一度しか出てこないEmで始まるアラビア風なオープニングといい、大サビのコード展開といい、その作曲術は既に玄人を唸らせる域にある。

 

 ■A Taste Of Honey
 1961年に英国映画『蜜の味』の主題歌として一般によく知られていた曲だったからだろう、ハンブルグ巡業の際にポールが好んで歌っていた。筆者も中学生の時、初めて聴いたビートルズのレコードで、この曲だけは知っていた。しかしジョンも当時から「嫌いだ」と公言していた通り、ロックンロール・バンドには相応しくない曲かも知れない。
 ここには、サビにポールのダブルトラック・ボーカルを重ねたテイクが2種あり、テイク6は終盤のブレイク部でジョンのピンの部分にハーモニーがまだつけられていないステレオ・バージョン。

 

■There’s A Place
 午前のテイクに、ジョンのハーモニカをダビングしているテイクが聴ける。

 

■I Saw Her Standing There
 午前のテイク9にハンドクラップをオーバーダビングしているのだが、テイク10では聴こえない。エコーがかかった手拍子音を聴いて、盛り上がる様子が伺える。

 

■Misery
 午後に最も苦戦したのが、この「ミズリー」だ。10曲のノルマが課されたなかで、夕方が迫りつつあるこのときでも、まだ仕上げたのは4曲たらず。そして取り掛かった5曲目は、ジョンとポールのツイン・ボーカルが魅力の曲だが、ここでもまずジョージがBメロ♪I Remember~で繰り出す単音弾きのギターフレーズが弾きこなせず(テイク1)、テイク2前に、オクターブ下げて低音弦でフィンガリングを試し弾きして臨むが、今度はジョンがコードを間違え(テイク3)、次はジョンとポールがお互い歌詞を間違え(テイク4)、テイク5ではポールがコードを間違え・・と負の連鎖が始まってしまう。テイク6ではポールが途中コードを間違えるも演奏を続行し、やっとジョージの鬼門のBメロまで到達し低音弦でのフィンガリングが初登場するが、今度はリズムがヨレヨレというありさまだ。
 G・マーティンもいよいよ業を煮やして、そのフレーズを自らピアノで弾いてみるが(テイク9)、彼自身もスムーズに弾けていないのが聴いて取れる。テープはそこまでで終わっているが、このあとにOKテイクを録音し、後日G・マーティンがピアノで、その鬼門フレーズをテープ速度を調整してダビングすることになる。つまりテイク9のあとに、初めてピアノ録音を想定し、テープスピードを速めて録音したのだ。よって定説とされている、「最初からピアノ録音を想定してテープ速度30ipsで録音された」というのは誤りだと思えるのだが、どうだろうか。

 

■7:30PM – 10:45 PM

 予定されていた午前と午後のセッションでは5曲しか完成しなかったため、延長して夜に3度目のセッションを行うことになった。新曲の「ホールド・ミー・タイト」を13テイク録音するが、結果的にそれは没となり、セカンドアルバム制作時にリメイクされる。
 いよいよ時間も迫る中、彼らはライヴで演奏し慣れたカバー曲に照準を定め、猛然と5曲を録音する。朝から風邪をおして歌い続けていたジョンが、最後の力を振り絞り「ツイスト・アンド・シャウト」を歌い終えた時、時計は夜の10時をまわっていたという。
 この夜のセッション・テープは残念ながら発掘されていない。世界中に散らばった貴重盤や海賊盤の音と、マーク・ルーイソン著『レコーディング・セッションズ完全版』(シンコーミュージック刊)の記述から推測するしかないのが現状だ。
 その5曲は、ここには1963年のオリジナル・ミックスで収録され、最後にボーナスとして、1962年11月26日に録音されたシングル盤「プリーズ・プリーズ・ミー」のハーモニカがダビングされる前のアセテート盤バージョンを収録している。

 

 

■楽器を通しての会話 そこから生まれる奇跡のロックンロール!

 かくしてレコーディングは終了し、G・マーティンは「オフ・ザ・ビートル・トラック」というアルバムタイトルを提案する。メンバーも乗り気で、ポールは手書きのジャケットのラフデザイン(写真参照)も残しているが、シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」が2月22日に英国チャート1位になったことを受けて、分かりやすくアルバムも『プリーズ・プリーズ・ミー』と命名される。ジャケットはEMI本社の階段から階下を見下ろすショットが採用された(プロトタイプのジャケ写真参照)。

 

 その後のビートルズの躍進ぶりは皆さんもご存知の通りであるが、間違いなく出発点はこのアルバムであり、この日のレコーディングにある。それもこの日まで、ひたすらライヴ活動を繰り返し、叩き上げてきたロックンロール・バンドとしての土台があればこそだ。
 この2月11日のセッションでは、4人が楽器演奏を通じて対話していることが感じられるだろう。聴き逃しそうな誰かのわずかなミスで演奏は止まり、その不安が伝染しNGを繰り返す。と思えばポールの威勢のいいカウントから最初の1音が気持ちよく響くと、その高揚感は4人に伝染しベストテイクが生まれる。その一つ一つの瞬間に、僕らは音像越しに立ち会うことができる。
 バンドとはそういうものだし、1+1+1+1が4以上になる瞬間を刻むのがレコーディングである。そんな小さな奇跡を繰り返して、音楽は生まれていくのである。
 その後、大観声と劣悪な音響設備の中での過酷なライヴ活動に疲れ果て、スタジオワークで革命を起こす彼らだが、もしこのライヴバンドとしての力量を保ったまま、スタジオワークで発揮した革新性をステージでも表現できる環境にいられたならば・・・。ビートルズに、いやロックンロールに、どんな未来があったのだろうかと夢想せずにはいられない。
 2021年3月現在、コロナ禍の中、全国のライヴハウスが自粛を強いられ、ビートルズが叩き上げてきたようなライヴ活動の場が失われている世界において、平常の日々が戻るよう願うばかりである。
 
CROSS(the LEATHERS / 島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS)