1963年3月5日、ビートルズはサード・シングルとなる新曲「From Me To You」のレコ-ディングに臨む。カップリングはこれも新曲「Thank You Girl」。
年頭に発売したセカンド・シングルの「Please Please Me」がヒットを記録してビートルズの未来の展望が見えてくると、EMIレコード、プロデューサーのジョージ・マーティン、マネージャーのブライアン・エプスタインの間で「3ヶ月ごとにシングル1枚、半年ごとにアルバム1枚」をリリースする計画が立てられた。このリリース計画は「2~3年に1枚のフルアルバム発売」というような現代の音楽産業事情とはずいぶん異なり、これがビートルズに生みの苦しみを強いることになるのだが、逆にその過酷なプレッシャーこそが、彼らがあそこまで成長できた要因になったのだろう。
ここまでのビートルズのリリース状況を一度確認してみよう。
1962年9月4&11日 「Love Me Do」、「 P.S. I Love You」録音
1962年10月5日 シングル盤「Love Me Do c/w P.S. I Love You」発売
1962年11月26日 「Please Please Me」、「Ask Me Why」」録音
1963年1月11日 シングル盤「Please Please Me c/w Ask Me Why」発売
1963年2月11日 ファースト・アルバム用の10曲の録音(EGDR-0018に収録)
1963年3月5日 「From Me To You」、「Thank You Girl」録音
1963年3月22日 ファースト・アルバム『PLEASE PLEASE ME』発売
1963年4月11日 シングル盤「Please Please Me c/w Ask Me Why」発売
彼らはデビュー・シングルの録音のときから、用意された曲「How Do You Do It」を断ってオリジナル曲でのデビューにこだわり、さらにリンゴに代わるスタジオ・ドラマーを準備されるという屈辱も乗り越え、セカンド・シングル「Please Please Me」が母国でヒットする。そしてファースト・アルバムのレコーディングも果たした。音楽活動への手ごたえを得て、心身ともに充実していただろうことは想像に難くない。
そのさなかにあって、ライヴ活動を休むこともなく、2月11日の伝説の10時間レコーディング(Eternal Groovesの前作『ONE-DAY SESSION 』参照/品番:EGDR-0018)の翌日から、この3月5日までの20日間で18か所の巡業ツアーを行うなど休みなしの状態だ。いったい彼らはいつ曲を作ったのか。
この日、録音される「From Me To You」は、わずか5日前、2月28日にジョンとポールによってツアー中のバスの中で作られた。「この曲ができたときは嬉しかった。特にサビのコード展開は斬新で、これを思いついたときは『やった』と思ったね」とはポールの弁だが、これはキーがC長調のこの曲のサビでGmへ展開する部分のことだ(♪I’ve Got Arms That Long to Hold Youから始まる部分)。理論的にはマイナー調へ転調しているともいえる。そしてサビの最後で♪And keep you satisfied、Ooh!とビートルズのトレードマークとなる「モップヘアー頭を振って裏声で♪ウ~」が出現する。まさに着地飛型点100点満点の技巧だ。さらには女性ファンが熱いまなざしで見つめる中、ファンに語りかけるように「愛をこめて僕から君へ」なんて歌われたら、ヒットしないわけがない。4月の発売後すぐ、ビートルズ史上初の全英1位を記録するのである。
「Thank You Girl」は、徐々に増えはじめたファンレターへのお返しの気持ちを歌詞にこめたとレノン&マッカートニーは述懐している。このあと、湯水のように名曲を生み出す2人を知る僕らにとっては意外なことだが、デビューから5ヶ月目にして早くもオリジナル曲のストックは底をついていた。3週間前のファースト・アルバム録音のときも6曲のカバー曲に頼らなければならない状態だったし、直後には連日のライヴツアーも始まっているのだ。
しかし、彼らを責めることはできない。当時は音楽演奏や歌唱とは、ライターが書いた曲を歌うことであり、シンガーソングライターなんて言葉が生まれる前の時代の話なのだ。オリジナル曲を演奏したい!という思いを持ち続けたビートルズは、やがて誰もが自作曲を歌うことが当たり前の風潮を生み出すことになる。これは彼らが起こしたロック革命のひとつだし、それを身近で見ていたローリング・ストーンズをも巻き込んで新しいロックンロールのうねりが英国から発生していったのだ。
そんなブレイクの予感に包まれたこの時期、「3ヶ月に1枚のシングル」というやりがいある目標を得て、レノン&マッカートニーの2人は作曲の腕をメキメキと上げていく。移動中の寸暇を惜しんで曲作りをする中、ジョンは当初「Thank You Girl」を次のシングルにと狙いを定めて書いたと語っている。しかし「From Me To You」のデキがよく、A面の座はとって代わられる。ジョンにいたっては「シングルを狙って失敗したやっつけの曲」とまで発言しているが、ジョンとポールの若々しいツインボーカルのユニゾン(2人で同じ音程を歌う)で始まり、2人が上下の3度に入れ替わりつつハモる歌いっぷりは痛快で、筆者はいまも愛聴しているし、この時期の2人のハーモニーこそビートルズの醍醐味だろう。
1987年と2009年の世界統一マスターが制定される以前はステレオとモノラルではハーモニカの入る箇所が違っていて驚いた記憶も、いまは懐かしい。
4月にサード・シングル「From Me To You」がヒットし、英国での人気が定着すると、7月には「She Loves You」をレコーディングし、8月にミリオンセラーを記録。英国中がビートルズ旋風に包まれていく。4月28日から12日間のバカンスを取っただけで、ライヴツアーの日々は続き、その合間をぬって7月中旬からはセカンド・アルバムのレコーディングがスタートする。本CDにはセカンド・アルバムのレコーディングから9月12日のセッションも収録されている。_ _ 今回、調査してみて驚いたことは、フルアルバムを年間2枚も制作する計画がありながらも、この年に組まれたライヴの異様とも思える本数である。おそらくB・エプスタインも、新曲を作る時間までは考えが及ばなかったのだろう。すでに船は動き出しており、動きながら考えるしかなかったのだ。
まだ世界的にブレイクする前なので、スウェ-デンでの5公演を除けば、そのすべてが本国である英国(ウェールズ、スコットランド含む)でのライヴなのだが、ビートルズの飛躍の年となった1963年のライヴ本数を、月ごとに記してみよう。
1月 23公演
2月 25公演
3月 27公演
4月 21公演
5月 17公演
6月 21公演
7月 21公演
8月 30公演
9月 8公演
10月 12公演
11月 27公演
12月 20公演
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合計 252公演
これだけのライヴをこなしながら、新曲をどっさり書くのはさすがのレノン&マッカートニーでも厳しかっただろうし、本CDを聴けばお分かりいただけるだろうが、新曲ができたとしても、バンドでのアレンジや練習はほとんどできないままスタジオ入りしていたと思われる。そうなるとスタジオで録音をしながら、やり慣れない新曲のアレンジを詰めていく中で、やはりG・マーティンの存在は大きかった。
本CDでは「From Me To You」のテイク1から最終テイクまで、「Thank You Girl」はテイク1からテイク14までを聴くことができる。テイクによってアレンジも微調整されていくのだが、それは後述させていただく。
ここで聴けるのは、スタジオでレコーディングを進めるビートルズの嘘偽りのない姿だ。キューを出すエンジニアとの会話も含めノーカットで収録されている。
「From Me To You」のイントロの旋律を担う楽器がジョージのギターからジョンの吹くハーモニカへ。「ダララーララ、ドゥンドゥンダァー」というコーラスを「ンンンーンン」に代えてみたりと試行錯誤する様子や、「One After 909」を試しているテイクなど、1963年3月5日にアビーロード・スタジオでレコーディングされた現存するすべての音源が聴けるのだ。
それでは各テイクを聴いてみよう。
■From Me To You
午後2時半からスタートした、この日の最初のセッションは5日前に作ったばかりの「From Me To You」。録音を始める前にリハーサルをしたのか、事前にメンバーで相談しあったのか、take1から歌の流れに沿った強弱のつけ方は完成されているが、1’06″あたりで聴こえる口笛のような音に反応しで演奏が中断する。イントロの旋律はジョージがオクターブ奏法で試みている。そのままtake7まで演奏を繰り返し、take7がOKテイクとなり、イントロに「ダララーララ、ドゥンドゥンダァー」というコーラスと、間奏とエンディングにハーモニカをダビングする(track8)。次の9track目は、イントロにハーモニカを入れたり、「ンンンーンン」のコーラスにしてみたり、「ダララーララ、ドゥンドゥンダァー」をファルセットにしてみたりと様々なアイデアが試される興味深い断片がまとめて聴ける。
最後に「ジョン・バレット・テープ」と呼ばれる音源からtake8でイントロにハーモニカを使ったバージョンが収録されている。「ジョン・バレット・テープ」については後述する。
■Thank You Girl
次は「Thank You Girl」だが、この時点では、まだどちらがA面とは決めていないと思われ、ジョンらのやる気も伝わってくるテイクが重ねられる。take1ではBメロの歌詞が初期バージョンとなっていて、♪And all I gotta doのところが、♪And all I wanna doと歌われる。が、イントロを2回ほど失敗したあとのtake4ではもう発表版の歌詞に変更されている。そのままテイクが重ねられる中、曲のエンディングには盛り上げるためにリンゴのドラム・フィルの乱れ打ちが用意されているのだが、その部分に近づくたびにテンポが走ってしまう。BPM(テンポ)を測ってみたところ、平均138のテンポが140~144まで上がってしまう。リンゴの意気込みが完全に空回りしているといえよう。エンジニアのジェフ・エメリックによると、複数のテイクを継ぎはぎして仕上げたとの証言も残されている。
8日後の3月13日に、ツアーの合間にジョンだけがスタジオに飛び込み、ハーモニカのダビングを行った。ここでも最後にそのハーモニカをダビングした「ジョン・バレット・テープ」からの音源が聴ける。
■One After 909
1957年、ジョンがポールと出会った頃に作ったロックンロール・ナンバーで、2人が共作を始めたごく初期の作品だ。この日の3曲目に選ばれて録音を試みている。
ジョンは「9」という数字に縁があると発言していて、実家は9番地、誕生日も9日だ。909は9時9分発の列車とも909号便とも受け取れるらしい。
take1では最初のブレイク部分でリンゴがフロアタムを叩くべきところを、スネアとハットを叩き続けていてすぐにストップとなり、ジョンが「何やってんだ」と声を荒げる。take2では、ジョージがフレーズが転びそうになりながらもギターソロを何とかまとめた直後、歌に引き継ぐところで6弦開放の違う音が鳴ってしまう。とたんに意気消沈したのか、伴奏ギターに戻れず音が薄くなるも一応完奏。take3では、大サビ(ジョンひとりがボーカルとなる部分)でポールがベースを間違えて、ジョンは今度はポールに向かって「何やってんだ」と言う羽目に。するとtake4ではギターソロの戻りでジョンが数小節早まって歌い出してしまい、すかさず今度はポールが「お前だよー」と突っ込む。ここで完奏することはあきらめ、ギターソロ以降を繋げるためにtake5を録っている。確かにこの日は「One After 909」の日ではなかった。結果、没になるのだが、ここでのツイン・ボーカルと演奏の黒っぽさ、クールさはかなりカッコいい。『アンソロジー1』では、これらのテイクを繋ぎ合わせて収録されることになる。
本人たちもリベンジを期していたのか、この日から約7年後のラスト・アルバム『Let It Be』に、1969年バージョンで収録されたことで一般的には知られることになった曲だ。
10track目に収録されたのはジョン・バレット・テープと呼ばれる音源。60年代からアビーロード・スタジオでエンジニアとしてビートルズとの仕事に携わっていた同氏が、80年代に癌であることが判明して療養することになったとき、暇をもて余す同氏のために、スタジオ倉庫に眠るビートルズのマスターテープの詳細を記録する仕事があてがわれた。その調査のなかで発掘された音源である。
いまは故人となったジョン・バレットが、病床につきながらもまとめた調査のおかげで、より多くのレコーディング記録が明らかとなったのだ。
ジョン・バレットを語るときに外せないのがEMIと深いつながりのあるDJ、ロジャー・スコットだ。彼は1983年にアビーロード・スタジオで関係者向けに開かれた「ビートルズの貴重テイクの試聴会」を開いた人物で、ジョン・バレット・テープなどの使用許可をもらい何度か試聴会を開いた。関係者といえども、そこは僕らファンと一緒で、今まで聴いたことがないビートルズの貴重テイクに参加者は騒然となったという。
西ドイツにThe Swingin’ Pigというレーベルがあり、80年代にいわゆる海賊盤としてアンダーグラウンドに流通するレコードをリリースしていたが、ロジャー・スコット音源をもとに1988年に『ウルトラ・レア・トラックスVol.1&Vol.2』をリリースした。その音源がリリースされると世界中の音楽ファンは騒然となった。EMIから公式発売されているレコードよりも良い音で貴重な未発表曲が収録されていたからだ。その驚異的な内容と並んで著作権への対応も画期的なものだった。ベルヌ条約加盟国以外の国、この場合ルクセンブルグ共和国で登録され、ドイツの印税管理団体GEMAから承認された、権利関係を法的にクリアしたリリースであり、通称「ハーフ・オフィシャル」と呼ばれるやり方だ。筆者はこのリリースに関わった数少ない日本人のひとりで、この辺りの事情には誰よりも詳しいとの自負もあり、エピソードはほかにもたくさんあるが、またの機会にしよう。このリリースを不服に思ったEMIが何度もSwingin’ Pigと裁判で争ったが、すべてEMI側が敗れている。
このリリースがEMIをビートルズの未発表マテリアルをまとめる1995年の『アンソロジー』プロジェクト立ち上げへ向かわせるきっかけとなり、僕ら音楽ファンは以降、数多くの貴重テイクを聴く機会に恵まれることになったのだ。
前述のとおりライヴツアーに明け暮れるビートルズだったが、セカンド・アルバムのレコーディングも進めねばならず、複数回スタジオ入りしてレコーディングを進めていた。8月にはシングル「She Loves You」に予約だけで50万枚も殺到しており、英国での人気は手が付けられない勢いであった。
セカンド・アルバムのレコーディングからはセッション・テープはほとんど発掘されていないが、ここに9月12日のセッション・テープが陽の目をみている。一気に9月へ飛んで聴いてみよう。
■Christmas Messages To Australia
午後2時半からのレコーディングは、メッセージの録音から始まった。ビートルズ人気は豪州でも高まっており、B・エプスタインは1964年の豪州ツアーも計画していた。ここでは豪州のラジオ局向けにメッセージを録音している。「ボブ、僕らのレコードをガンガンかけてね」と、メンバーが呼びかけているボブとはシドニー局のDJのことである。一方、豪州のどのラジオ局でも流すことができるよう「Open Messages」も録音された。動くビートルズの映像など、まず見ることのできない時代に肉声でのメッセージは重要なツールだったのである。
■Hold Me Tight
最初のセッションは「Hold Me Tight」。2月にレコーディングを試み13テイクも録ったが没となり再度の挑戦だ。作者のポールも気合を入れなおしていて、take1の前から「オフビートだ」とメンバーにアドバイスを送ってスタートする。スリーコードのロックンロールには収まらない斬新なコード進行を持つ。ポールは「やっつけの曲だった」と後日語っているが、それは照れ隠しと思われ、この曲であらゆるコード展開を試し学んだのだ。結果、習作的な作品になった。マイナーコードを巧みに使用した曲で不思議な魅力がある。失敗テイクを繰り返し、コントロールルームからの「24!」は怒気をはらんでいる(笑)。
■Don’t Bother Me
午後7時からの夜のセッションは、ジョージ作の「Don’t Bother Me」。昔からの仲間で『マージービート』誌の編集長であるビル・ハリーから、わざわざ手紙で「ジョージ、貴方はなぜ作曲しないのか?」と問われたことへの返答というのが通説らしい。割と根に持つタイプか、ジョージさん。確かにジョージは以降も2年後まで作曲はしていないし、「Don’t Bother Me/ほっといてくれ!」と言いたかったのか、最初のテイクのエンディングでは「ほっとけ~、ロックンロール、ナウ!」と破れかぶれ気味に叫んでいる。その気持ちとは裏腹に、歌唱はいまいち心もとない。ギターを弾きながら歌いなれない新曲に苦労したのだろう。36track目では、ジョージみずからカウントをとって、演奏がスタートするが、2小節目で「Too Fast」とつぶやいている声が聴こえる。これが公式テイクとなり、今もアルバム『With The Beatles』のなかで「テンポ速すぎる」とその声は永遠に記録されたままだ。
サード・シングル「From Me To You」は、5月2日付の全英チャートで1位を記録。7週連続で1位を続けるという爆発的ヒットとなった。米国ではビートルズに興味を示さなかったキャピトル・レコードに代わり「ヴィージェイ・レコード」から5月27日に発売されるが、まったく売れず。米国でこの曲が響き渡るまでは、もう少し時間が必要だった。
なお、エターナル・グルーヴズからは、このセッションの3週間前の2月11日のレコーディングを収録した『ONE-DAY SESSION(EGDR-0018)』も発売されている。どちらも限定生産のデジパック仕様とのこと。そちらにも1963年のビートルズに関する詳細なライナーノーツが載っているので、併せてお楽しみ頂けたらと思う。
CROSS(the LEATHERS/島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS)