エターナルグルーヴズ〈ETERNAL GROOVES〉

ライナーノーツ

THE BEATLES - QUARRYMEN TAPES 1957-1962

■ビートルズ誕生まで

 音楽のみならず、既存の価値観やアートに革命をもたらし世界を震わせた4人組。彼らがザ・ビートルズとなるまでには、まずジョン・レノンとポール・マッカートニーの運命の出会いがあり、スチュワート・サトクリフ(ベース)や仲間との悲しい別れなど、いくつかのドラマがあった。これまでも多く語られてきたし、このCDをお求めになった貴兄たちはすでにご存知と思う。しかしジョンやジョージ・ハリスン亡き後も、さらに研究は進み、新たな音源の発掘も進んでいる。

 大きな出来事としてはアップルが公式に制作し、ビートルズの歴史をまとめた1995年の『アンソロジー』プロジェクトがある。そこで公開されたのは、ビートルズと名乗る以前のグループ「クオリーメン」時代に残された1958年のレコーディング2曲と、ポールの自宅での3曲のリハーサル音源だった。しかしそのポール宅でのリハーサル音源も、世界中のビートルズ・マニアたちの研究の成果により、正確なピッチ(再生スピード)でなかったことは、既に常識であるし、ところどころにハサミの入れられた不完全な音源だったことも判明している。ポール宅でのメンバー自身による素人録音でもあるし、時代性からも音のクオリティには厳しいものがある。それで3曲のみの収録となったのだろうが、以前からファンの間でうわさにのぼっていた「I’ll Follow The Sun」や「One After 909」といった、後のビートルズのアルバムで発表される楽曲の初期バージョンの演奏も、実際には存在していたのである。
 本CDは、それらの音源を最新のデータから集約し、徹底的にリサーチしてまとめたものだ。音質にはバラつきがあり、お聴き苦しい所もあるかもしれないが、これはビートルズという稀代のアーティストの歴史的音源である。その資料性も加味し、あえて年代順に収録している。当然ながら古いものほど音質は損なわれてはいる。しかし音でたどるビートルズ誕生ヒストリーである。しばしお付き合い願いたい。

 

■1957年7月6日-ジョンとポールが出会った日

 冒頭に収録されたのは、まさにその出会った日のライヴである。このときジョン・レノンは16歳。ロックンロールが全盛になる以前、この頃、ロニー・ドネガンのヒットをきっかけに英国ではスキッフル・ブームが生まれていた。ジョンも夢中になったのだろう。やがて学友たちとクオリーメンを結成する。ジョンを中心にエリック・グリフィス(ギター)、コリン・ハントン(ドラム)、ロッド・ディヴィス(バンジョー)、ピート・ショットン(洗濯板)レン・ギャリー(ウォッシュタブ・ベース)というメンバーだ。この日は土曜日で、リヴァプールの聖ピーター教会でバザーが開かれ、その余興のステージでクオリーメンが演奏した。ステージの合間にサブのメンバーであるアイヴァン・ヴォーン(ウォッシュタブ・ベース)が、ライヴを見に来ていた自分の同級生をジョンに紹介する。それが15歳のポール・マッカートニーだった。ポールはその場でギターを演奏してみせ、その腕前にジョンは驚嘆する。
 ポールは語る「ジョンはルックスもいいし、ただひとり目立っていた。すげーと思ったよ。僕はステージの裏にあるピアノを弾いた。ジェリー・リー・ルイスかなにかだったと思う。するとジョンが僕の演奏に合わせてオクターブ上を右手で器用に弾いたんだ。そのとき、彼の息が酒臭いことにちょっと驚いた」
 16歳のジョンと15歳のポールは、こんな風にして出会った。

 

 驚くべきことにボブ・モリニューという観客が、このときのクオリーメンの演奏をポータブル・テープレコーダーに録音していた。ボブは1994年になって、そのテープが自宅にあることを思い出す。ノイズに混じって、クオリーメンが演奏するロニー・ドネガンの「Puttin’ On The Style」と、エルヴィス・プレスリーの「Baby, Let’s Play House」が収録されていたのだ。そのテープは有名オークション「サザビーズ」で競売にかけられ、ポール本人によって落札されるに至る。よってテープの全貌はポールにしか知りえないが、ラジオニュースで「Puttin’ On The Style」が30秒ほど流されて、世界中のファンが今度は腰を抜かすことになる。確かにノイズの中ではあるが、はっきりとジョンと分かるボーカルが記録されていたのだ。
 紆余曲折を経て、ここには「Baby, Let’s Play House」も収録された。どちらもポールが「すげーと思った」当日のジョンのボーカルが聴いて取れる。

 

THE QUARRYMEN(1957)
John Lennon : vocals, guitar
Eric Griffiths : guitar
Colin Hanton : drums
Rod Davis : banjo
Pete Shotton : washboard
Len Garry : tea-chest bass

 

■FIRST RECORDINGS 1958

 7月6日の出会いから3ヶ月後の10月には、ポールはクオリーメンとして初のステージに立っていた。
翌1959年1月には初めてキャバーン・クラブに出演。そして3月にジョージ・ハリスンが加入する。英国ツアーで来英していたバディ・ホリー&ザ・クリケッツのステージを見て感化され、ポールはジョージと「In Spite Of All The Danger」を作曲。この年の7月12日(秋という説も)に、クオリーメンは、リバプールにあった「フィリップス・サウンド・レコーディング・サーヴィス」というホームスタジオで、バディ・ホリーの「That’ll Be The Day 」とオリジナル曲「In Spite Of All The Danger」の2曲を録音する。このときのメンバーは、ジョン、ポール、ジョージにドラムのコリン・ハントン。そしてゲストでピアノを弾いたのがジョン・ダフ・ロウだ。ジョンのリードボーカルに、ポールたちのコーラスや各楽器が、スタジオ内に設置された1本のマイクのみで収録された2曲は、10インチのシェラック・ディスクに記録された。
 ポールいわく「僕らの初めて作ったレコードは1枚しかないから、1週間交代で皆でまわすことにした。最初はジョンが1週間。次に僕が持って、1週間後にはジョージへ。最後にダフに渡したけれど、彼はそれを23年間持っていた」
 ダフがタンスの靴下の引き出しに締まっていたこのディスクが、クオリーメンとしての初の正式なレコーディング音源である。

 

THE QUARRYMEN(1958)
John Lennon : vocals, guitar
Paul McCartney : backing vocal,rhythm guitar
George Harrison : lead guitar, backing vocal
Colin Hanton : drums
John “Duff” Lowe : guest piano

 

■ポール宅でのリハーサル1960

 初めてのレコード制作の直後の1958年7月15日。ジョンの母ジュリアン・レノンが自宅前のメンローヴ通りで車にはねられ事故死する。このショッキングな出来事を境に、ジョンはより音楽に傾倒していく。ジョージもこの頃、学校を中退。ポールと共にジョンの通うアートスクールへ毎日のように入り浸って3人でツルんでいたそうだ。この頃になるとスキッフルからロックンロールへと移行したクオリーメンから、この3人以外は次々と離脱していき、12月にはジョンの悪友スチュワート・サトクリフがベースで加入する。
1960年になるとドラマー不在のまま、社交クラブなどでライヴ演奏(ドラマーは都度サポートメンバーを調達)を繰り返しながら、ポールの自宅でリハーサルを行っていたようだ。本作の表ジャケットの写真も、南リヴァプールのフォースリン・ロードにあったポールの自宅前で撮影されたものだ。
 ポール宅でのリハーサルは、1960年の4月と7月の2度、家庭用のテープレコーダーで録音された音源が存在する。もちろん音質的には問題はあるのだが、70年代から海賊盤などで一部が流通し、マニアの間では定番の音源であった。現在もその正確な日付の確定はできていない。しかしデジタル世代となり、発掘された曲数も増え音質もいくらかはアップしている。
 4月の録音では『アンソロジー1』で1分ほど公開されたインスト曲「Cayenne」も、ここでは2分以上収録され、さらに再生ピッチも正確だ。書いたばかりだったというオリジナルの「Well Darling」や「I Don’t Know」では、ジョンとポールのボーカルが絡み合う、後のビートルズを思わせるアレンジだ。
 7月のリハーサルになると、さらにレパートリーも増えたようで、ポールが歌うレイ・チャールズのカバー「Hallelujah, I Love Her So」のほかに、さきにも述べたが、後年ビートルズとして発表されるオリジナル曲の初期バージョンが登場する。そのひとつである初期のジョンとポールの共作曲「One After 909」は、まだまだ荒削りであるが、曲としてはほとんど完成している。ポールの初期の作曲のひとつである「I’ll Follow The Sun」も、基本的なメロディは『ビートルズ・フォー・セール』(1964年)版と同じものだが、中間で違うメロディパートが出てきたりと、とても興味深いテイクだ。ほかにもレノン&マッカートニー作とされる「You’ll Be Mine」、「Some Days」、「You Must Write Everyday」も聴くことができる。初期の有名な未発表曲「Hello Little Girl」は、ここではゆったりと演奏されている。7月のリハーサルでは、音からは確認できないが、ポールの弟がパーカッションで参加している可能性がある。そんなところも、いかにもホーム・リハーサルという感じで微笑ましい。

 
THE QUARRYMEN(1960)
John Lennon : vocals, guitar
Paul McCartney : backing vocal, rhythm guitar
George Harrison : lead guitar, backing vocal
Stuart Sutcliffe : bass
Mike McCartney : per(ポールの弟。7月のリハーサルに参加)

 

 クオリーメンとしての音源は以上で終わる。本当はインスト曲や、ボーカルのないセッション曲なども含めれば、もっと音源は残されているのだが、同等の音質であることから重複での収録は避けられている。
 以降彼らは、ジョニー&ザ・ムーンドッグズと名乗ってコンテストに出たり、S・サトクリフ加入後にはシルバー・ビートルズと改名。ジョージ・ハリスンもカール・パーキンス好きが高じたからか、一時はカール・ハリスンと名乗ったりとバンド黎明期にありがちなエピソードを経て、いよいよ「ザ・ビートルズ」とバンド名を改め、ピート・ベスト(drum)が加入しドイツ・ハンブルグ巡業を始める。そこでの交流から1961年にトニー・シェリダンのバックバンドとして録音したシングル「My Bonnie」がドイツでヒットしたことで、リヴァプールのレコード店NEMSの責任者ブライアン・エプスタインが興味を寄せ、キャバーン・クラブでビートルズのライヴを体験。マネージメントを申し出る。
 本CDでは、その時期まで一気に時が流れて、次の貴重な音源を紹介しよう。

 

■キャバーン・クラブでのSome Other Guyライヴ

 1962年元旦のデッカ・レコードのオーディションに落選しても、B・エプスタインはビートルズ売出しのために次々と手を打っている。まずキャバーン・クラブでの熱気を伝えるべく、英国北部のTV局グラナダTVが8月22日に収録に訪れ、そのフィルムは後年『アンソロジー』に収録され、キャバーンでの熱気を後世へ伝える映像となった。日本のTVでも、初期ビートルズの定番映像として頻繁に放映されたので、誰もがご存知だろう。しかし、話はそれでは終わらない。その収録の際に集音マイクだけで収録した音声は貧弱だったために、グラナダTVは9月5日に再度、キャバーンでのライヴの音声だけを収録したのだ。
 しかし、今度はその放送自体が局の都合によりお蔵入りしてしまう。そこで機転を利かせたのがB・エプスタインだった。彼はその音源を買い取り、自身のレコード店NEMSで、アセテート盤にカッティングして、シングルとして販売したのだった。またたくまに完売したレコード。それがここに収録された「Some Other Guy」だ。この曲に関してはBBCでのテイクも残されているが、これがベストテイクではないだろうか。この収録日が9月5日というのも注目だ。前日にビートルズはリンゴ加入後の初のレコーディングをEMIで行っている。リンゴが、ジョージ・マーティンから不採用とダメ出しをされた「Love Me Do」を録音した日だ。

 

■キャバーン・クラブでのリハーサル音源

 10月5日にビートルズのデビューシングル「Love Me Do」は発売された。ちょうどその頃(10月某日)、キャバーン・クラブでのリハーサルが録音で残されている。どういう経緯で録音したのかは不明ながら、これまで一度も公式発表されていない音源だ。3曲すべてがオリジナルということもあり、EMIでの次のレコーディングを目指して取り組んでいたのかもしれない。
 ジョンのハーモニカ入りの「I Saw Her Standing There」は、スタークラブでのライヴを想起させる初期バージョンだ。テンポも遅いし、ギターもジョージひとりで、リンゴもほとんどフィルインを叩かないからか、ファーストアルバムのドライヴ感はまだ生まれていない。この曲をポールが思いついた時期については諸説あるのだが「サウスポートでの公演帰りに思いついた」という発言を信じるなら、1962年7月26日以降と考えられる。そこから1ヶ月かけてジョンと歌詞などを再考し完成させたという証言からも、この時期のバリバリの新曲だったことがうかがえる。このバージョンでは、間奏のあとの歌詞が違っている。
 ポールの自宅でのリハーサルでも聴けた「One After 909」は、リバーブを強く効かせたジョージのギターが印象的だ。映画『レット・イット・ビー』で取り上げられアルバムにも収録されたが、この曲は1963年5月3日の「フロム・トゥ・ユー」セッションでも録音を試みる。が、リンゴもポールも間違いを続けて、その様子にジョンが怒る場面もあるが(EGDR-0019に収録)、この10月には「演奏できてたじゃないか」という伏線があったのだ。
 「Catswalk」はポールが16歳のときに書いたというインストナンバーだ。ジョージのリードギターで奏でられる。ここでは2テイク収録されている。

 

■キャバーン・クラブでのリハーサル音源

 2021年10月、ビートルズ・ファンの間では、51年を経て発売された『レット・イット・ビー・スペシャル・エディション』の話題でいっぱいだろう。長い間、禁じ手とされていたリミックスが、最新の音響設備により施され、半世紀前の音源が現代仕様となり再び脚光を浴びている。それもビートルズの音楽がエバーグリーンであるからにほかならない。
 ちょっと世の中に反抗的で大人ぶった16歳と、ギターもピアノも器用に弾きこなすベイビーフェイスの15歳。ロックンロールに魅せられた、この子どもたちの出会いからの5年間。ちょうど彼らが21歳と20歳になるまでの過程。それを音楽で辿ったヒストリー音源である。聴きようによっては雑音でしかないかも知れない演奏。しかし、ここからすべてが始まったのだ。
 クオリーメンからビートルズへ。ロックンロールはすべてをかなえる魔法のようだ。
 
CROSS(the LEATHERS/島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS)