エターナルグルーヴズ〈ETERNAL GROOVES〉

ライナーノーツ

EMI STUDIO Sessions 1967 vol.3

不思議な魔法のサイケデリック旅行へ

 

 ビートルズがEMIスタジオで行った録音作業を、現存する音源で時系列に追う全スタジオ・セッション・シリーズも第9作目となり、いよいよ『マジカル・ミステリー・ツアー』のセッションとなる。

 1967年4月。アルバム『サージェント・ペパーズ』(英米では6月発売)を仕上げたばかりで、まだ発売もされていない時期に、はやくも次回作のレコーディングが開始されたのだ。

 『サージェント・ペパーズ』の録音完了直後の4月3日、米国へ飛んだポールは、そこでヒッピー・カルチャー、フラワー・ムーブメントを目の当たりにする。ジェファーソン・エアープレインやグレイトフル・デッドのメンバーと会い、ビーチボーイズのスタジオを訪れ、当時のカリフォルニアの雰囲気を肌で感じた。リバプールの新聞記者で、このとき西海岸に移住していたビートルズの広報担当デレク・テイラーからは、6月に予定されている一大イベント「モンタレー・ポップ・フェスティバル」の実行委員になってくれないかと相談を受ける。ジミ・ヘンドリックスを紹介して出演に結びつけるなど、サマー・オブ・ラブの時代の空気を実感しながら、帰路についた飛行機の中で「不思議な魔法のバス旅行」のコンセプトを思いつく。

 4月11日に帰国したポールは、メンバーに『マジカル・ミステリー・ツアー』のアイデアを熱く語り、2週間後の4月25日にタイトル曲「マジカル・ミステリー・ツアー」の録音に取りかかるのだ。

 この年、ビートルズに課せられた仕事はそれだけではなかった。

 ビートルズのステージの魅力を伝えるべく、デビュー前からビートルズのマネージャーとして辣腕ぶりを発揮したブライアン・エプスタインは、ライブコンサートをやめてしまったビートルズに映画音楽の仕事を取ってきていた。それがアニメーション映画『イエロー・サブマリン』だ。そこに提供する曲の録音をする時期も迫っていた。

 前年の「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」から、スタジオワークの面白さに目覚め、音楽制作をアートとしてとらえ始めたビートルズたちは、外部で企画されたアニメ映画に興味をもてず、「余りものの曲でも渡せば充分さ」とジョージ・マーティンに語っていたという。

 一枚岩で成功を勝ち得てきた彼らだったが、このあたりからブライアンとの関係が怪しくなってくる。

 しかし、ブライアンはさらに素晴らしい仕事を取ってくる。BBC放送が6月に企画している「世界生中継番組~アワ・ワールド~」への英国代表としての出演と、そこで新曲を世界中に生中継するという夢のような契約だ。コンサートの仕事を、好条件で取る必要がなくなってしまったブライアンにとって、ビートルズに対する最大のプレゼントのつもりだっただろう。しかし、スタジオワークに夢中だったメンバーの反応は芳しくなく、ブライアンは傷つく。「ボーイズたちに、わたしができることはもうないのか」― 彼の胸中を思うと、その後の顛末を知るだけに切ない。

 結果的にこの「アワ・ワールド」が、ブライアンがビートルズのために残した最後のビッグ・ディールとなる。世界に生中継された新曲「愛こそはすべて/All You Need Is Love」は、1967年を代表する曲となり、そのラブ&ピースの曲調は、いまなお色あせることなく輝いている。

 ブライアンは8月27日に急死する。マネージャーを失ったビートルズは、すべてを自分たちで運営していく決意を固める。ビジネス面を任せることができるブライアンがいてこそ、音楽に専念できた面はあったはずだ。信頼できるマネージャーを失ったビートルズは、このあとビジネス面では迷走する。ビートルズの生み出した権利や金銭に群がる新たなマネージャー、代理人、管理人。ロックンロ-ルの純真さや、音楽表現を追求してきたはずが、本人たちが思う以上に、音楽マーケットを動かす怪物になっていたのだ。契約上の不備やトラブル。それらは、解散時はおろか解散後もビートルたちを苦しめる火種となった。

 

 こんな風に、ビートルズにとって多忙を極めた1967年。爆発する創作意欲のままに、見切り発車のように始まった『マジカル・ミステリー・ツアー』セッションを、日を追って聴いていこう。

 

25th April 1967 – EMI Studio 3, London – 7:00 PM-3:45 AM

 

 行く先もない不思議なバス旅行。新曲と映像でおりなすTV映画。ポールがひらめいたアイデアから、早速曲作りが始まり、この4月25日にレコーディング初日を迎える。アルバム『サージェント・ペパーズ』の最後の仕上げとして、B面の最後に流れる逆回転のメッセージを録音したのが21日だから、そこから4日しか経っていない。

 

1:Magical Mystery Tour (take 3)

 2本のギターとピアノ、ドラムのベーシック・テイクだ。ポールがメンバーに説明しながら、初日はこのようにして録音していったのだろう。この時点でトランペットなどのブラス・セクションや、道路を走るバスの効果音を入れることを決めたそうだ。

 

27th April 1967 – EMI Studio 3, London – 7:00 PM-12:45 AM

 

2-3:Magical Mystery Tour (Vocal & Bass Overdub)

 26日にベースとボーカルをダビングし、27日にはジョンとジョージのコーラスも録音する。ポールのベースはブラスが威勢よく入ることを想定してか、とてもシンプルなフレージングだ。

 

3rd May 1967 – EMI Studio 3, London – 7:00 PM-12:15 AM

 

4:Magical Mystery Tour (Brass Overdub)

 ブラス・セクションがダビングされ、バスの走行音やブレーキ音が挿入される。

 

 

4th May 1967 – EMI Studio 3, London – 7:00 PM-12:15 AM

 

5:Magical Mystery Tour (Mono RM7)

 まだ冒頭の「さぁ、よってらっしゃい!」の掛け声がないバージョン。この日で、ひとまずこの曲の作業は終了する。TV映画として最終的に仕上げる11月に再度ダビングが行われる。

 

11th May 1967 – Olympic Sound 1, London – 9:00 PM-3:00 AM

 

6-10:Baby You’re A Rich Man (Vocal&Bass / Piano / edit piece / RM1)

 この頃になると、録音の日取りを思いつきで決めていたようで、実際この日はEMIのスタジオに空きがなく、オリンピック・スタジオに出向いて作業をしている。オリンピック・スタジオはローリング・ストーンズが利用していたことで知られる。この日もミック・ジャガーがスタジオに様子を見にやってきたようだ。資料にはコーラスに参加したとの記録があり、エンディングの2分45秒過ぎに低音で「ベイビー・ユア・リッチマン」と歌っているのがミックだとする説があるが、正確には確認できていない。筆者は、あの声はジョンだと思うが・・・

 ジョンが書いた前半部分と、ポールの書いたサビを合体させた曲で、映画『イエロー・サブマリン』に提供する目的で録音されたが、結局は7月発売のシングル「愛こそはすべて」のB面として発表された。

 ビートルズにしては珍しく、この一日ですべての工程を完成させている。オリンピック・スタジオの支配人でもあるキース・グラントがエンジニアを務め、サブは後にジミヘンやツェッペリンとの仕事で名を馳せるエディ・クレイマーが担当した。

 ジョンのモータウン的なファルセット・ボーカルに、からんでくる逆回転のような不思議な音色の「Clavioline」が特徴的だ。最も初期の電子単音キーボードで、正規の日本国内販売がなかった関係で、クラヴィオリンやクラヴィオラインと呼ばれることが多く、名称は定まっていない。

 ここではジョン自身が弾いていて、ポールのピアノとベースがサウンドを支えている。

 

12th May 1967 – EMI Studio 2, London – 7:00 PM-12:30 AM

 

 この日も映画『イエロー・サブマリン』用のセッションが続く。そもそも、このアニメ映画は日本のTVでも放映されたドタバタ劇のアニメ「アニメ・ザ・ビートルズ」の制作会社からブライアンに持ち込まれた企画だった。アルバム『サージェント・ペパーズ』を聴いて、その視覚的サウンドに感動した監督のジョージ・ダニングは、劇中での『サージェント・ペパーズ』の楽曲の使用許可も得て、映画の成功を確信した。そして最高のアニメーション・スタッフを雇って『サージェント・ペパーズ』の映像化を目指し、サイケデリックな時代を反映させるプロジェクトを進めていた。

 そんなことは知らぬビートルズたちは、前述のとおり、モチベーションも上がらずにいたが、1968年7月に設定されたプレミア上映会に間に合わせるために、挿入歌の提供は急がねばならなかった。そうやって、どちらかと言えばしぶしぶとレコーディングを始めたのだ。

 

11-13:All Together Now  (take 9)

 天才ポールにしては、やや幼稚な曲として、ファンからも辛口で語られる曲だが、映画では世界各国の言語の字幕が付けられ「それでは皆さん、ご一緒に~おーる・とぅげざー・なう」と、世界共通言語の様相となる。このあっけらかんさは、ポールでこそか。

 

17th May 1967 – EMI Studio 2, London – 7:00 PM-2:30 AM

 

14:You Know My Name (Look Up the Number) 

 ここには序盤部分の通称パート1のベーシック・トラックが収録された。ビートルズ史上でもアバンギャルド度数では、おそらく第2位に輝くだろう(もちろん1位はレボリューションNo.9だ)。後日、ストーンズのブライアン・ジョーンズがサックスをダビングし、シングル「レット・イット・ビー」のB面で発表されるのは3年後のことだ。「名前をご存知ならば、電話番号を調べてください」とマントラのように繰り返すのさ!とはジョンの弁。この奇妙な曲を、ジョンもポールも意外に気に入っていたようで、1969年にも再びダビング作業を試みている。特にジョンは、ビートルズで出せないならと、プラスティック・オノ・バンド名義でのリリースを計画し、1969年12月5日と発売日も決定し、プレスまでされたが直前にリリース中止となっている。

 

25th May 1967 – De Lane Lea Studios, London – 7:00 PM-2:30 AM

 

 「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」でビートルズとインド音楽を結びつけることに成功したジョージ・ハリスンは、サイケデリックな時代に呼応するかのような曲「イッツ・オール・トゥ・マッチ」を、LSD体験から書きあげる。「すごすぎるよ」と連呼される歌詞は、ただのトリップソングのようで、ジョンの書く詞のような深みはないが、ラウドにオルガンが鳴り、フィードバックするエレキギターのサウンドが極上だ。現在はアシッドロックの代表曲の位置を獲得したと言ってよいだろう。

 

15:It’s All Too Much (take 4)

 

2nd June 1967 – De Lane Lea Studios, London – 7:00 PM-2:15 AM

 

16-17:It’s All Too Much (working tape / Mono RM1)

 公式テイクは6分25秒だが、ここには8分18秒に及ぶロング・バージョンが聴ける。

 

9th June 1967 – EMI Studio 2, London – 7:00 PM-11:00 PM

 

18:You Know My Name (Look Up the Number)    

 6月8日にブライアン・ジョーンズがサックスをダビングし、この日も同曲の録音が継続された。

 

14th June1967 – Olympic Sound 1, London – 10:30 PM-4:00 AM

 

 『マジカル・ミステリー・ツアー』の録音を中断し、映画『イエロー・サブマリン』のための録音を続けているうちに、6月25日に予定された世界同時中継BBC「アワ・ワールド」が迫ってきていた。11日前になってやっと取り掛かったのが、ジョンがあわてて書いてきた「愛こそはすべて」だ。数日前まで「ユー・ノウ・マイ・ネーム」なんていうナンセンスな曲にかかりきりだったのに、土壇場になってこんな名曲を書いてくるんだから、神がかっている。

 

 できない事を やろうとしても無理さ

 歌えない事を 歌おうとしても無理

 愛さえあれば いいんだ

 

 シンプルな思想に根ざした歌詞と普遍性。ジョンお得意の感性が生んだ変拍子。あるべき1拍が足りない(4分の4拍子+4分の3拍子)効果か、歌詞が1行1行と進むたびに胸を衝く。今後100年待っても起こらないであろう「サマー・オブ・ラブ」のムーブメントが起こる年の6月。ラブ、ラブ、ラブの連呼で始まる曲を世界中に生中継で届けるのだ。こうやって振り返るだけでもクラクラする。世界は音楽で変わりはしないだろう。でも確実に、この曲は私たちの何かを変えた。

 しかもロック史を揺るがすアルバム『サージェント・ペパーズ』が発売された直後だ。日本ではまだ『サージェント・ペパーズ』は未発売で、生中継を見たファンは「愛こそはすべて」がニューアルバムに入っていないことに驚いたそうだ。ビートルズが、世界の音楽史に、その名前を深く刻んだ瞬間となる。

 

19:All You Need Is Love (take 10)

 ジョンが弾くハープシコード中心のバージョン。

 

24th June1967 – EMI Studio 1, London – 5:00 PM-8:00 AM

 

20:All You Need Is Love (take 44-47=Brass & Strings Overdub)

 23日からオーケストラ(ブラス)のダビングを敢行。イントロにフランス国家を付け加える。この日、放送前日ということで、100人を越えるジャーナリストや関係者にスタジオを公開。その対応の合間をぬって、入念なリハーサルが繰り返される。

 

25th June1967 – EMI Studio 1, London – 2:00 PM-1:00 AM

 

21-23:All You Need Is Love  (Unknown take / take 59=Our World performance / RM 11)

 いよいよ生中継当日。ウォームアップでジョンが「She Loves You, Yeah Yeah Yeah」と歌うのが聴こえる。あれはアドリブでなく、あらかじめ歌うと決めていたのだ。track22が生中継バージョン。中継終了後の深夜、ジョンのボーカルの一部と、イントロにリンゴのドラムのロールを追加してシングル盤用のミックスを完成させる。そのシングルは放送の12日後、7月7日に発売される。驚くべきスピードだ。track23は、ラフミックスのロング・バージョンでエンディングが30秒ほど長く聴ける。

 

エプスタインを失って

 

 BBC「アワ・ワールド」の放映のあと、ギリシャで休暇を取ったビートルズは、マハリシの超越瞑想セミナーに参加したりと、積極的にドラッグ・カルチャーやスピリチュアルなものに、音楽制作の先にある真理を求め模索していた。8月27日にマネージャー、ブライアン・エプスタインが薬物過剰摂取で急死し、突如、自分達がショービジネス界の荒波の中にいることに気付かされたビートルズ。9月1日、ポール宅に集まったメンバーたちは、今後、一切を自分たちで運営していく意思を固める。そこで、まず最初に取り掛かったのが、保留となっていたTV映画『マジカル・ミステリー・ツアー』を仕上げることだった。

 9月5日、ロックンロールと詩のカオス、そのすべてが塊になったかのような「アイム・ザ・ウォルラス」のレコーディングが始まる。それらは次のCD(EGDR-0028)に収録予定ということだ。

 

CROSS(the LEATHERS/島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS)