エターナルグルーヴズ〈ETERNAL GROOVES〉

ライナーノーツ

EMI STUDIO Sessions 1967 vol.4

エプスタインの死をこえて

 

 ビートルズがEMIスタジオで行った録音作業を、現存する音源で時系列に追う全スタジオ・セッション・シリーズも第10作目となり、サイケデリックの年を代表する『マジカル・ミステリー・ツアー』のセッションの終盤となる。

 ビートルズがコンサート活動をやめた、その元年となる1967年は、大作『サージェント・ペパーズ』に始まり、アニメ映画『イエロー・サブマリン』用のサウンドトラック曲を録音しながら、BBCでの世界同時生中継番組『アワ・ワールド』で英国代表として出演し、新曲「愛こそはすべて」を演奏。さらに年末クリスマス特番で放送することになるTV映画『マジカル・ミステリー・ツアー』を制作と、凄まじい勢いでスタジオワークに没頭する年となった。

 6月の『アワ・ワールド』のあとには、休暇をとったビートルズ。ジョージは米国・西海岸でフラワー・ムーブメントの聖地ハイト・アシュベリーを訪れ、コミューンでヒッピーに囲まれながら「ベイビー・ユー・アー・リッチマン」を歌ったり、ラヴィ・シャンカール公演を観たりと、西海岸の空気を肌で感じる旅をする。英国では、8月19日にリンゴの次男ジェイソンが誕生。休暇が明け、24日からはマハリシ・ヨギが来英して行う瞑想セミナーに出席する予定を組んだが、その合間の22日には、久々のレコーディングをブッキングする。それではセッションを、日を追って聴いていこう。

 

22nd-23rd  August 1967 – Chappell Recording Studios, London – time unknown

 

1-2:Your Mother Should Know (take 8/9)

 約2ヶ月ぶりのスタジオ入りだが、EMIスタジオが空いていなかったため、ロンドンのチャペル・レコーディング・スタジオで「ユア・マザー・シュッド・ノウ」を2日間かけて録音をする。23日にはブライアン・エプスタインもスタジオに訪れたが、これが生前最後の立会いとなる。「フール・オン・ザ・ヒル」と同様にマイナーとメジャーのコード転調を繰り返す、ポールお得意の作風だ。track2では、コーラスのダビング部分が聴ける。

 

27th August 1967 

 

 無名のリバプールのロックンローラーたちを世界最大のアイドルバンドに育て上げたマネージャー、ブライアン・エプスタインが、この日、薬物過剰摂取により自宅で死去。享年32。ライヴ活動を停止したビートルズをマネージメントする上で、自身の存在に悩みもあったようだ。10月にはビートルズとの5年間の契約が切れる寸前でもあった。

 ジョン、ポール、ジョージは、ウェールズのバンゴウでのマハリシの瞑想セミナーに参加中、ブライアン死去の報を知る。

 

1st September 1967

 

 9月1日、ポール宅に全員が集まり、今後のバンド方針を協議。メンバーと今いるスタッフたちだけで運営していくことを決める。瞑想セミナーのためのインド旅行は中止とし、決意もあらたにTV映画『マジカル・ミステリー・ツアー』の制作続行を決める。11日から映画撮影のスケジュールを組み、レコーディングは5日から再開とする。

 

5th September 1967 – EMI Studio 1, London – 7:00 PM-1:00 AM

 

 やる気満々、創作パワーが爆発中のポールに比べると、この頃のジョンは、曲作りに関して言えば、気もそぞろで手抜き感がある。休みなくスタジオ入りを強要するポールに「嫌気がさした」と発言もしているし、シンシアとの家庭生活にも不満があったようで、どこか散漫な様子だ。リーダーとして、名曲を連発してビートルズをグイグイと引っ張っていった1963~’65年頃のジョンを知っているだけに、なおさらだ。

 この頃から、エバーグリーンな名曲や、甘く切ないや佳曲をコンスタントに生み出すポールと、気が向くと突如、従来のロックンロールの枠をぶっちぎった曲を爆弾投下するジョンという図式が、ビートルズの楽曲制作の過程で顕著になってくる。

 ジョンは、この年だけでも1月の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」、6月の「愛こそはすべて」などメガトン級の曲を、突如、投入してくるから油断ならない(笑)。

 ブライアンが死去した9日後、ロック史上に刻まれる壮大な「アイ・アム・ザ・ウォルラス」のレコーディングが始まる。

 

3-6:I Am The Walrus (take 7/8/9/16+17)

 ジョンがエレピを弾き、4人でベーシック・トラックを録音して行く。track4は、ミスってすぐ止まる。完成バージョンの面影すらないシンプルなバンド演奏だ。この段階では、魅力の見えづらい曲でしかない。

 しかし、テイク7、8、9(track3から5)とベーシック・トラックの録音が続いたあと、track6でジョンのボーカルが入ると雰囲気が一変する。

 「ボクがカレで、キミもカレだから、キミはボクで、だからボクらは一緒なのさ」。

 この不条理にして意味不明な歌詞も、ひとたびジョンの口から発せられると、重要な意味を持ち始めるから不思議だ。「Mr. City policeman sitting pretty little policeman in a row」という2番の歌詞が、最初にできたらしいが、実はイントロのオルガンは、パトカーのサイレンを模していたのだ。その不穏さは、さらにダビングが進むにつれ明らかになる。

 

6th September 1967 – EMI Studio 2, London – 7:00 PM-3:00 AM

 

7-9:I Am The Walrus  (take 17/Bass dub/acetate RM4)

 翌日も「アイ・アム・ザ・ウォルラス」の録音が続く。ベースをダビングし、ジョンの強烈なボーカルがダビングされ、この日の最後にアセテート盤に記録されたテイクがRM4だ。ビートルズでは、トラックダウンされたマスターは識別のため番号が振られるが、リミックス・モノの4テイク目という意味になる。

 これに後日、ジョージ・マーティンのアレンジでオーケストラが加えられ、シェークスピアの「リア王」のBBCラジオでの朗読などもダビングされ、ロックンロールと詩のカオスが詰まったモンスター級の曲になるが、それは次回CD(EGDR-0029)に収録されるという。

 

10:The Fool On The Hill (acetate demo)

 「アイ・アム・ザ・ウォルラス」と共に、EP2枚組『マジカル・ミステリー・ツアー』(米国ではLP)の代表曲となるポール作の「フール・オン・ザ・ヒル」は25日から録音が始まるが、この日はポールのピアノ弾語りデモとしてアセテート盤に刻まれる。「丘の上の愚か者」は大衆には理解されないが、実は賢者なのだという意のこの曲。3月の時点でポールはジョンに聴かせていた。ジョンはポールに「書き残しておいたほうがよい」と助言し、後に「ポールには完璧な曲を書く才能がある」と言わしめた。歌詞ではジョン作の「ひとりぼっちのあいつ/Nowhere Man」のアンサー・ソングにも感じられる。2年前のあのとき、「どこにも行くあてのない男」だったジョンが、今は悟りを開いたかのように「丘の上から世界を見渡している」と、今度はポールが歌うのだ。

 

11:Blue Jay Way (take 1)

 続いて、ジョージ作の「ブルー・ジェイ・ウェイ」に取りかかる。『マジカル・ミステリー・ツアー』らしい幻想的な曲だ。ワンコードで構成されていて、マントラのような雰囲気。こちらもジョン作の「トゥモロー・ネバー・ノウズ」がジョージの深層心理に残っていたのではないだろうか。

 

7th September 1967 – EMI Studio 2, London – 7:00 PM-3:15 AM

 

12-13:Blue Jay Way (take 2/3)

 この日はジョージの歌がダビングされる。8月にロス・アンジェルスに滞在していたジョージは、待てども待てども現れないデレク・テイラー(アップル・レコード広報)を待っていた。歌詞はそのまんま、「LAは霧が立ちこめ、友人は道に迷ってしまった。このまま眠ってしまいそうだ」と気だるいジョージの声で歌われる。

 

8th September 1967 – EMI Studio 3, London – 7:00 PM-2:45 AM

 

14-16:Flying (take 6/8/acetate RM4)

 現役時代にビートルズから唯一、公式発表されたインスト・ナンバー。といってもメンバー全員によるスキャットコーラスが入る。映画で使うことを念頭に、ポールの発案で書かれ、ビートルズ4人の共作とクレジットされている。アセテート盤に記録されたRM4は、エンディングにモダンジャズか何かのレコードからの音源をそっくり繋いでミクスチャーしている。

 

16th September 1967 – EMI Studio 3, London – 7:00 PM-3:45 AM

 

 9日に、映画『マジカル・ミステリー・ツアー』の制作を公式に発表。11日から、映画撮影がクランクイン。断続的に11月まで撮影は続けられる。その合間を縫って、レコーディングも同時進行する。

 

17:Your Mother Should Know (take 27)

 撮影があったため、9日ぶりのレコーディングとなったこの日。8月22、23日とチャペル・レコーディング・スタジオで録音したバージョンに満足できなかったポールが、ここで再録音を提案し、ハーモニウムやリンゴのドラムロールをフィーチャーしてヘヴィーにリメイクしている。しかし、結局、このバージョンは没となり、29日に再び録音を試みる。

 

18:Blue Jay Way (acetate/RM1)

 この日は、「ブルー・ジェイ・ウェイ」のモノ・ミックスも作られた。

 

 

25th September 1967 – EMI Studio 2, London – 7:00 PM-3:45 AM

 

19-21:The Fool On The Hill (take 3+4/Paul on recorder/Rumi tape)

 6日のポール弾語りデモを参考に、「フール・オン・ザ・ヒル」のレコーディングが始まる。リズムが強調されていて、僕らが普段聴いている公式テイクとはかなり違う。決して上手とはいえないポールによるリコーダーの演奏も聴ける。

 この日、スタジオには日本の音楽紙「ミュージック・ライフ」の星加ルミ子編集長が取材で訪れており、その様子が「ミュージック・ライフ」にも掲載された。日本の音楽紙による大スクープだ。1965年からビートルズに直接取材を申し込み、’66年の来日でも取材を許可され、信頼関係を築いてきたからこその快挙だろう。来日時は、ジョンにおそ松くんの「シェー」のポーズまで撮影させている。

 その星加編集長が、EMIスタジオで取材中にレコーダーに録音したとされるのが「ルミ・テープ」だ。世界中のマニアの間で永らく幻の音源とされていた。全貌が明らかになった今、決して良い音質ではないが、リンゴがピアノを弾き、ポールがリコーダーを練習する演奏が聴ける。ここにも20秒だけ収録された。

 そしてこの日、オノ・ヨーコがスタジオに見学に来ていた事実も判明している。カメラマンの長谷部宏氏も含めると日本人が3人も、「フール・オン・ザ・ヒル」のレコーディング中のEMIスタジオにいたことになる。

 

26th September 1967 – EMI Studio 2, London – 7:00 PM-4:15 AM

 

22-23:The Fool On The Hill (take 5/6)

 前日に続いて「フール・オン・ザ・ヒル」だが、マイナーで弾き始めるのをやめ、メジャー・キーでピアノの伴奏のみで歌い始める公式テイクのアレンジに変更された。そう、やはりこれでなくちゃ。

 

 本CDは、この9月26日までの収録となり、次作(EGDR-0029)ではSEやダビングが進み劇的な変化を遂げる「アイ・アム・ザ・ウォルラス」や「ハロー・グッバイ」のセッションが収録される予定だ。

 

まだ見ぬロックの地平へ

 

 ブライアン・エプスタインが死去し、その不安を振り払うかのようにスタジオワークにまい進したビートルズ。この年に発表したアルバム『サージェント・ペパーズ』は、サイケデリック・イヤーを代表する歴史的作品となり、「愛こそはすべて」はサマー・オブ・ラブのアンセムとなった。

 リーゼントと革ジャンをキメ、英国の港町リバプールの穴倉のような店の暗がりで夜毎ライヴ演奏に明け暮れていた日々から、わずか4年。いまや世界的バンドとなったビートルズは、ロックンロールがロックへと変容していく時代の先頭を走り続けていた。それまで、どのロックンロール・バンドも見たことのない景色を見ながら。

 

CROSS (the LEATHERS/島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS)