エターナルグルーヴズ〈ETERNAL GROOVES〉

ライナーノーツ

JONI MITCHELL - ACOUSTIC TALES

CSN&Y、ジェームス・テイラー、ボブ・ディランも認めたその才能
23歳のジョニの眩しいばかりに瑞々しいデビュー前の貴重ライヴ

 

 ピュアで瑞々しい感性と芯の強さを併せ持ち、20世紀を代表する女性アーティストとなったジョニ・ミッチェル。そんな彼女がデビット・クロスビーのプロデュースで鮮烈なデビューを果たす1968年に先がけること約1年前、フィラデルフィアのスモール・クラブで行った貴重なアコースティック・ライヴを収録しました。WHATという地元のラジオ局が収録し、今までも形を変えてリリースされてきた音源ですが、今回はより鮮度の高いマスターテープまでさかのぼり、最長版で登場。かつ2日後に行われたスタジオでの別のライヴの追加収録も実現しました。_ まずメインのライヴは「セカンド・フレット・クラブ」という名称からもうかがえるようにフォークロア的な小さなライヴハウスでの演奏。ジョニは気さくに観客に語りかけながら、ギターと澄んだヴォーカルのみで自作曲を披露していきます。
 1曲目「モーニング・モーガンタウン」は1970年のサード・アルバムになってやっと発表される当時の新曲。多作な彼女は驚くべきことにすでにアルバム3枚分ほどのオリジナル曲をこの時点で書き上げていて、ほかにも映画『いちご白書』で反戦の象徴となる名曲「サークルゲーム」や、1969年のセカンドアルバムに収録されジュディ・コリンズ(本CDの裏ジャケにジョニと一緒に写っています)により大ヒットする「青春の光と影/Both Sides Now」もこのライヴで披露しています。
 他にはフェアポート・コンベンションのカバー(3曲目)、レナード・コーエンのカバー(8曲目)に加え、多数の未発表曲も収録。旅についての歌で皆で合唱できるわよ、と紹介される2曲目の「Born to take the Highway」。カナダ・オンタリオ州のカーニバルの歌と紹介しての「Carnival in Kenora」など、書き上げた曲を楽しそうに説明するデビュー前のジョニのステージングは原石のような輝きにあふれています。
 2部の最初の「Brandy Eyes」も未発表曲。「Mr. Blue」は、「どこへ行っていたの、青い目の息子よ」と歌われるディランの「激しい雨が降る」に言及してからの演奏で、「BLUE」の4文字が以降ジョニに与える影響を考えると興味津々の未発表曲ですね。

 

 「Urge for Going」は、Tom Rushのために書かれながらジョニのバージョンは長らく未発表であった熱心なジョニ・ファンには有名な曲。当時はこの曲でTV出演もしていてお気に入りの曲だったのでしょう。
 観客に「第一部もいた人はいるのかしら?」と尋ねてから、気に入ってる曲なのでまた歌いたいのと紹介される「青春の光と影/Both Sides Now」では、ソール・ベローの小説「Henderson the Rain King」を読んで書いたという貴重な発言も。

 

–ここは歌詞/和訳、抜粋—-

青春の光と影/Both Sides Now

並んで流れる天使の髪 それは空に浮かぶアイスクリームの城
ふわふわとした羽根の峡谷 雲とはそんなものだと私は思っていた
でも今、雲は太陽をさえぎり 雨を降らせ 私の行く手を阻む
私は雲を両側から見ていた(Both Sides Now) 晴れてる側 光のない側
結局 私はなにひとつ知らなかったのだ 
雲というものを 愛というものを
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 このライヴの翌年、ジュディ・コリンズによりこの「青春の光と影」は大ヒットを記録し、そこに描かれた無垢な心と真摯な姿勢は、以降のジョニの代名詞となっていきます。
 追加収録されたWHATラジオでのスタジオ・ライヴは音質が少し落ちますが、3曲ともジョニのバージョンは現在も未発表という貴重なもの。特にニール・ヤングのカバー「Sugar Mountain」にはびっくりされる方も多いでしょう。というのも「動物やカラフルな風船、20歳を過ぎたら、もうこのシュガー・マウンテンでは暮らせないのさ」と過ぎ行く青春をニール・ヤングが歌うのを聴いたジョニは「20歳を過ぎたら荒涼とした世界で生きていくだけなんて間違ってる。私たちはすっと生きていくのよ」とアンサー・ソングとして「サークルゲーム」を書き上げたからです。ジョニも自らカバーするほど、この歌には心惹かれるものがあったのでしょう。だからこそ、めぐり行く季節を歌った「サークルゲーム」は、僕たちの心に響くのではないでしょうか。

CROSS(the LEATHERS/島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS)