1961年11月にレコーディングされたデビューアルバム『ボブ・ディラン』は、2曲のオリジナルを含む全13曲で1962年3月にリリースされた。1961年1月に、ミネソタの片田舎から大都市ニューヨークへギター片手にフラリとやって来て、その夜の寝床を探しながらグリニッジ・ヴィレッジのカフェで歌い始めたディランにとって、わずか10ヶ月ほどで大メジャーのコロンビア・レコードとの契約を勝ち取るとは、本人にとっても順調過ぎる歩みだったに違いない。
トラディショナル・フォークとして見事な弾語りのパフォーマンスを聴かせたデビューアルバム。老練なブルースマンの様なしわがれ声、朴訥ながら味のあるギターワーク、熟成されたスタイル・・挨拶代わりとしては素晴らしい内容のデビュー作だったが、セールス的にはまったく売れなかったため、コロンビア・レコードも対応に苦慮し、結果として次回作まで丸一年を費やすことになった。
しかしその1年こそが、フォークの神様、ロック界の吟遊詩人、やがてノーベル文学賞にも輝くボブ・ディランという怪物の礎を形成したといっていいだろう。
セカンドアルバム『フリー・ホイーリン』のレコーディングは、1962年4月24日から始まり、計8回、ちょうど翌年の4月24日まで断続的に行われた。その間ディランは、毎晩のようにカフェで歌い続け、共演したヴィレッジの先輩シンガーたちから古い歌を習得し、自ら作曲することにも目覚め、猛烈に新曲を書き始める。アルバムカバーに映る当時の恋人スーズ・ロトロとのグリニッジ・ヴィレッジでの生活と別離。’62年12月のTV出演で渡った英国での現地ミュージシャンとの交流。21歳になったばかりのディランは、驚くほどのスピードですべてを吸収し成長していく。
12月には7回目のレコーディングも終え、そこまで録音したマテリアルを使って、セカンドアルバム『フリー・ホイーリン』のテスト盤が製造される。プロデューサーのジョン・ハモンドが、ラジオ局に配布してディランの次回作の事前売込みを図るためだ。しかし英国から帰ったディランが「北国の少女」、「ボブ・ディランの夢」、「戦争の親玉」、「第三次世界大戦を語るブルース」を書き上げたのを知り、8回目のレコーディングを1963年4月に敢行。テスト盤の『フリー・ホイーリン』から、デビューアルバムの延長線上の曲である「Rocks And Gravel」、「Let Me Die In My Footsteps」、「Talking John Birch Paranoid Blues」、「Rambling, Gambling Willie」を外して、新たな曲との差替えを決断する。これが成功への大きな潮目を呼び込んだことは歴史が証明している。そこから「フォーク界のプリンス」となったディランはロックへも躊躇なく踏み込んで行き、世界的アーティストへと駆け登って行く。
だからこそ、僅かに出回ったテスト盤の『フリー・ホイーリン』は稀に見るレア盤として高額アイテムとなり、そこに収録された4曲も伝説化されていくのだ。
(テスト盤との収録曲の違いなどは、本ブックレットに別項で記載したので参照を)
本CDにはそんなテスト盤収録のレア音源も含め、1年間の『フリー・ホイーリン』レコーディング・セッションから未発表テイクのみを収録している。
それでは収録曲について触れて行こう。
以下、通常のアルバム『フリー・ホイーリン』は「公式盤」と記す。
★M-01:Blowin’ In The Wind (take 1)
The 3rd Session, Columbia Recording Studios / 9 July 1962
偉大な曲の歴史的な録音テイク1。初ライヴの記録などから4月には書き上げていて何度か歌い込んであったのだろう。1962年7月9日、ニューヨークのコロンビア・スタジオで3テイクが録音されて、公式盤にはテイク3が選ばれた。どのテイクも安定していてデキはよく、ほとんど差はない。このテイクでも歌い回しの違いはわずかで、そこが分かる方はディラン検定上級者と言えるだろう。
★M-02:Rocks And Gravel *Free 公式盤未収録
The 5th Session, Columbia Recording Studios / 1 Novemberl 1962
マイナー調のトピカルソング。余り知られていないディランのデビューシングル「ゴチャマゼの混乱」は、エレクトリックバンド伴奏が付いた曲だが、それと同じ日に同じバックバンドで録音された。テストプレス版では2曲目に配置されており、1962年末の時点では重要曲だったのだろう。
★M-03:Let Me Die In My Footsteps (Complete ver.) *公式盤未収録
The 2nd Session, Columbia Recording Studios / 25 April 1962_
テストプレス版には3曲目に収録され、「THE BOOTLEG SERIES Vol.1-3」にも5番の歌がカットして収録されたが、こちらはノーカット完全版。
★M-04:A Hard Rain’s a-Gonna Fall
The Witmark Demos. NYC / December 1962_
ディランは、著作権登録の目的と他のシンガーがカバーできるように、曲が書きあがるとすぐにウィットマーク社でデモ録音を行うことが習わしとなっていた。これはその時の録音だ。
僕らが普段に聴いている公式テイクは12月6日にテイク1でOKが出て公式盤に収められた。あの長尺の歌詞を持つ7分にも達しようかという曲が、1度のやり直しもなく録られたことに驚く。ギターチューニングは”Drop D”。6弦だけを1音下げて2カポで演奏している。
★M-05:Bob Dylan’s Blues (take 2)
The 3rd Session, Columbia Recording Studios / 9 July 1962
公式盤にはないイントロからのハープを聴くことができるアウトテイク。
★M-06:Mixed-Up Confusion (take 3) *公式盤未収録
The 4th Session, Columbia Recording Studios / 26 October 1962
初期ディランの問題作にして、葬り去られたデビューシングル。完全弾語りのデビューアルバムが全く売れず、コロンビア・レコードも「バンド伴奏を付ければ売れる」とでも考えたのか、エレクトリック・バージョンのこの曲を同年12月にシングル発売するが、すぐに思い直してマーケットから回収するというドタバタ劇となる。我々日本のファンは、70年代にディランの日本盤LPに付属した歌詞カードの「あらましな35年間の記録」という年表で「ゴチャマゼの混乱」とタイトルが付けられたこの曲の存在を知るが、非売品のレコードでしか聴くすべはなく、長い間、日本のファンにとって幻の曲であった。
録音セッションは10月26日、11月1日、14日と3度も試みていて、今ではいくつかのテイクを、編集版『バイオグラフ』(LP版、CD版では収録テイクが違うので注意!)や2014年の限定盤「SIDE TRACKS」などで聴くことができる。ここに収録したテイク3は3番の歌詞が違うバージョンだ。
#Recording Member_
10/26;Bob Dylan (guitar, harmonica, vocal), Dick Wellstood (piano), Bruce Langhorne (guitar), Howie Collins (guitar), Leonard Gaskin (bass) and Herb Lovelle (drums)
11/1&14;Bob Dylan (guitar, harmonica, vocal), Dick Wellstood (piano), Bruce Langhorne (guitar), George Barnes (guitar), Gene Ramey (bass) and Herb Lovelle (drums)
★M-07:Girl From The North Country
WNBC NYC, Oscar Brand Show / March 1963_
1963年4月24日の『フリー・ホイーリン』最終セッションで録音され、公式盤に飛び込みで間に合った4曲のうちのひとつ。ここには、その直前の3月のラジオ出演から収録した。
「北国の少女」の邦題で、憂いのあるメロディと共に日本でも人気がある。1962年12月に英国に渡ったディランが、英国に伝わるトラディショナル・ソングから着想を得、「スカボロー・フェア」から「北国の少女」が、「ロード・フランクリン」から「ボブ・ディランの夢」が生まれた。結果的に米国と英国のトラディショナル・ソングの融合を達成した意義は、その後の音楽界にとっても大きい。ディランはわずか22歳、セカンドアルバムでそれを先駆けて実現したのである。
★M-08:Masters Of War
WBAI Studios、NYC. Cynthia Gooding Radio Show / 13 Feb 1962
これも1963年4月24日の最終セッションで公式盤収録に間に合った曲。「戦争の親玉」の邦題通りに、ディランのプロテスト・ソングの中でも舌鋒鋭く強烈さにかけてはピカイチで、大先輩ピート・シーガーをも唸らせた。ここに収録されたのは、ニューヨークのリヴェラルな放送局”WBAI”で、フォークシンガー、シンシア・グッディングの番組での、この曲の初めての公的なパフォーマンスである。
★M-09:Talking John Birch Paranoid Blues *公式盤未収録
The 1st Session, Columbia Recording Studios / 24 April 1962
テスト盤に収録された幻のスタジオ・バージョンがこれだ。『フリー・ホイーリン』セッション初日である1962年4月24日にベース奏者(Bill Lee)と演奏したがうまくいかず、最後にトライした弾語りバージョンがOKテイクとなった。そのまま公式盤に収録する予定でテスト盤まで作ったが、歌詞に問題ありとして見送られ、現在に至るまで58年間未公開のままである。1963年5月に有名TV番組『エド・サリバン・ショウ』出演に際して、この曲を演奏させてもらえないということで自ら降板した事件もあり、「問題作」として日本のファンには受け止められていた。確かに実在の極右政治団体「ジョン・バーチ・ソサエティ」を題材にしていれば放送禁止は納得できる話だが、BOOTLEG SERIESで公開された1963年のカーネギーホールや、ジョーン・バエズと行った1964年のハロウィーン公演のライヴでは、観客は大爆笑で大ウケしているのが聴いて取れる。アカ狩りの風潮を笑いに変え、「アカはどこにいる?見つけたぞ、星条旗の赤いストライプにアカが隠れている」と皮肉る歌詞は、どちらかと言うと毒のある漫談といった風情である。
★M-10:That’s All Right Mama (take 5) *公式盤未収録
The 4th Session, Columbia Recording Studios / 26 October 1962
エルヴィス・プレスリーのカバー。「ゴチャマゼの混乱/Mixed-Up Confusion」と同じく10月26日と11月1日の2度、バンド演奏をバックにキーを変えながら録音を試みている。エターナル・グルーヴス既発の『ボブ・ディラン / ジ・アウトテイクス!』(EGRO-0024)では1音低いキーの11月1日バージョンも聴くことができる。
★M-11:Corinna, Corina (solo version take 2)
The 1st Session, Columbia Recording Studios / 24 April 1962
20年代の古いトラディショナルソング。公式盤と違い、ディランの弾語りバージョン。開放弦の響きを生かしたオープンDチューニングで(3カポ)、ゆったりとしたテンポの味わい深い奏法だ。
★M-12:Bob Dylan’s Dream
WFMT-Radio Studio, Chicago, IL. / 26 April 1963
これも1963年4月の最終セッションで公式盤に駆け込み収録となった曲。「北国の少女」の項で述べたように、英国旅行で習得した素材からディランなりに発展させた隠れ名曲のひとつ。同じく英国伝承歌「ロード・フランクリン」をもとにしたサイモン&ガーファンクルの「キャシーの歌」も、同じメロディである。歌詞は、ディランにしては珍しくノスタルジーに溢れ、「かつて仲間と歌いあって過ごしたあの部屋へ戻れるならすべてを投げ出すよ」という過ぎた青春への素朴な想いが胸を打つ。
★M-13:The Death Of Emmett Till (take 1) *公式盤未収録
The 1st Session, Columbia Recording Studios / 24 April 1962
有色人種を殺害した白人を裁く白人による裁判とその疑惑の顛末。そこにある人種差別を糾弾するマイナー調の初期のトピカルソングのひとつ。ライヴで何度も歌われ、慣れていたのだろう。テイク1で完成をみる。_ このあとのM-14やM-15もそうだが、この1962年4月の2日間の初期セッションは、「ちょっとレパートリーを歌ってみるか」という様相で、トピカルソングも増えてはいるが、コンセプトはまだファーストアルバムの延長線上にある。
★M-14:Baby Please Don’t Go (take 1) *公式盤未収録
The 2nd Session, Columbia Recording Studios / 25 April 1962
Big Joe Williamsのブルース曲の素晴らしいカバー。このときディランはまだ20歳。
★M-15:Rambling, Gambling Willie *公式盤未収録
The 1st Session, Columbia Recording Studios / 24 April 1962
土壇場になって公式盤から外されたナンバー。さすらいのギャンブラーの物語をストーリーテリングする。オーソドックスな米国トラッドフォークである。
★M-16:Don’t Think Twice, It’s All Right
The Witmark Demos. NYC / March 1963
「くよくよするなよ」の邦題を持つディランのこの代表曲は、6回目の『フリー・ホイーリン』セッションで、これまたたった1回のテイクで録音されている。本作には1ヶ月前のウィットマーク社でのデモを収録。アコギの演奏スタイルは、いつの間にそんな技を覚えたんだ?と突っ込みたくなる流暢なスリーフィンガー・ピッキングを披露する。ファーストアルバム後の1年間のディランの技術的な急成長ぶりも特筆に価する。1962年10月に残されている初ライヴでは、まだストロークで演奏しているのだ。レコーディングでは他のギタリストが弾いたのでは?という説も、最近まであったぐらいだ。
★M-17:Corinna, Corinna (take 3)
The 4th Session, Columbia Recording Studios / 26 October 1962
M-11と違い、公式盤でもおなじみのバンドバージョンだが、こちらのテイクはイントロでハープが吹かれる。その分、1番の歌い出しまで12秒を要している。公式盤は7秒で1番の歌が始まる。このように同じ曲でも出たとこ勝負なのか、毎テイク違うフィーリングでレコーディングに臨んでいる様子が貴重だ。
★M-18:I Shall Be Free (take5)
The 7th Session, Columbia Recording Studios / 6 December 1962
「take5!」とエンジニアのコール後に、イントロのカッティングさえも惜しむようにすぐさま歌いだす。実はこの直前のテイク4では歌い出しで間違えてしまい、はやる気持ちが抑えられなかったようだ。結果的にテイク2が公式盤に選ばれる。その公式テイクでは、イントロには余裕のハープソロが挿入され、満を持して歌い出すのがカッコいい。アルバムタイトル曲「FREE WHEELIN’」(=規則にとらわれず自由に)に繋がる重要な曲だ。歌詞にはケネディ大統領やブリジット・バルドー、ソフィア・ローレンが登場するが、ディランは1964年にも続編としてカシアス・クレイを登場させ「I Shall Be Free No.10」を発表している。ディランの自作曲でのストーリーテリングの内容はフォークの範疇から抜け出し、「ビートニク詩人」系へと移行しつつあった。
1963年3月。これらセッションから、ジョン・ハモンドにより選抜された楽曲がアルバム『フリー・ホイーリン』として公式発売され、やがて「風に吹かれて」のヒットによりフォーク・ブームが米国に訪れる。雪のグリニッジ・ヴィレッジ、スーズ・ロトロと腕を組むディラン。アルバムカバーも時代の象徴として、米国の若者たちと共にベトナム反戦の時代へと進んで行く。
日本ではディランのレコードの発売は遅れていて、このジャケット写真での発売は1970年まで待たねばならなかった。しかし発売されるやすぐに学生運動、四畳半フォーク、神田川へと続く日本のフォーク・ブームにも影響を与えたのは間違いないところだろう。
本作には1年に及ぶすべてのセッションから、未発表テイクをベストセレクトして収録したが、ソングライティングに目覚めたばかりのディランのオリジナル曲と、デビューアルバムでも実証したトラデショナル・フォークの歌い手としてのカバー曲の見事さは特筆ものだ。本当に多彩な楽曲群であると思う。
しかし、ここに収録しきれなかったセッションはまだ膨大に残っていて、約半世紀が経過した今も、人知れず煌き続けている。いつの日かエターナル・グルーヴスからの公開を期待したい。
CROSS(the LEATHERS/島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS)